拡散と集中

2ヶ月ぶりに文章を書く。
60日間、あいも変わらず、考え事をしていた。

宇宙はなぜ存在し、人はなぜ存在しているのか。いや、人はなぜ何かが存在していると感じてしまうのか。

考えても仕方のない問い。
それよりも、日々の暮らしを少しでも向上させた方がどれだけましだろうか。
だが、心にはブラックホールのような黒い穴が空いていて、その穴が日常から私を伺っている。
そのため私は日常に埋没することが出来ず、かといって潔く穴に吸い込まれることも、善しとしていない。
完全に穴に飲み込まれてしまう前に、私は存在という謎のヴェールをめくりたいと思っている。


この2ヶ月で何か新しい発見があったかというと、成果を誇るようなものは何一つなく、穴の中から私を呼ぶ声に対し、私はまだその時ではないと、穴に向かって言いなだめている。

私は、急がねばならない。
いびつな穴はどこにでも現れる。
いつ私の両足の下に大きな穴ができるのか、それは、明日かもしれない。
数秒後かもしれない。

だが、焦れば焦るほど、私の思考は同じところをいったりきたりしている。

たまに何かが分かりかけることもあるが、本当は、まだ何一つ分かっていないのだ。

はたから見れば私の生活は充実して見えるかもしれない。

仕事上のプロジェクトは軌道にのり、キャリアアップのための試験を受け、2ヶ月の間にラグビーや剣道の試合を観戦をし、応援する声優の舞台を見に行き、バーにいっては飲んだくれ、隣に座る女を口説いては振られ、投資した動産は値上がりを続けている。

つまりは、普通の会社員という仮面をかぶりながら、私は日常を送っている。
仮面の下には、さらに仮面があり、笑顔の仮面や怒った仮面は剥がしても剥がしても、その下に別の仮面を忍ばせている。
きっと仮面をすべて剥いだら、そこには黒い穴が空いているだけだろう。

真っ暗い穴が私という仮面をかぶり、膨らんだり縮んだりしながら、日々の揺らぎの中で呼吸をしている。

考えれば、この世界や宇宙というものもまた、私と同じように、縮んだり膨らんだりしながら息をしている。
世界はまだ、氷ついてはいない。

およそ138億年前にエネルギーの爆発の結果で生じたこの宇宙は、対極的には、拡散の道をたどっている。
エネルギーはどこまでもどこまでも広がり、やがてすべてが均一に広がったとき、宇宙は熱的死を迎える。
そして、今からおよそ4000億年後に宇宙はその存在を閉じる。

だが現在、そのような対極の動きに抗うようにして、『存在』というものがある。
『存在』という事象は、何かが集中した結果、立ち現れる。

138億年前に、宇宙はその内包するエネルギーを拡散仕切ってしまうまえに、エネルギーを圧縮し、物質と反物質という素粒子に姿を変えた。
物質と反物質は対消滅を繰り返したが、宇宙にはわずかに物質が残されることとなった。
いくつかの素粒子がさらに集まり、水素という原子を誕生させた。
原子の融合はさらにさまざまな原子を誕生させた。
そうして138億年前に誕生したヘリウムや窒素が、長い長い年月を旅し、ときには宇宙の星を形成し、また爆発し、弾きとばされ、100億年が経った頃、地球という星を作ることとなった。
地球上の炭素化合物はより組織化するために、イオンや電子摩擦の力を利用し複製することを知った。
それからさらに数億年が過ぎた頃、炭素化合物は有機生命体という存在を得ることとなった。
地球上の生命は他の生命と交わり、ときには融合し、ときには破壊し取り込み、さらに別の存在へと変化していった。

そして今から数十万年前に、ホモサピエンスとしての我々が誕生することとなった。

我々の体を形つくる細胞、それをさらに形創る分子、そして分子となす元の素粒子は、138億年前に誕生し、今、我々の体を構成している。

138億年前に誕生した素粒子が酸素となったものを、我々は呼吸と称し、身勝手に体内に取り込み、細胞内のミトコンドリアが代謝によりエネルギーを得る。

我々の体を形づくる水素、炭素、酸素などすべての物質は、かつては星の一部であり、かつては銀河を漂った塵であり、138億年という宇宙の旅を記憶している。

私という現象は、宇宙を漂う塵がたまたま今という時の中で集中した結果で生じた、一つの因果である。
その因果としての我々は、今、何も分からず、何も分からず『存在』している。

再び問う。
宇宙はなぜ存在しているのだろうか。
我々はなぜ生きているのだろうか。

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純文学作家(自称)