後半に入り

7月に入った。今年も残り半年である。

人は時間とともに内省に内省を重ねて生きているが、人が内省を重ねるのには理由がある。
それは、他者を、世界を、そして自身を信じるためである。
内省を活動に置き換えてもいい。
人は何をどれだけ信じられるかで、人生というものが決まってくる。

明るい日、すなわち明日が来ることを信じられなくなった人間は、今日、そして未来を自らの手でだいなしにしてしまう。 

何とでもなると自身を信じられる人間は、本当に何とでもなる。

未来のあなたという存在は、あなたが信じた結果のものである。


唐突だが私は即身成仏になることを目指している。
60歳で人間を引退し、世界が完璧であることを信じきり、地蔵菩薩印を手に結びながら瞑想に入りたいと思う。
だが、今の日本では肉体の死は行政的な死であり、法律的に死亡となってしまう。
アパートの一室で座禅を組んだ白骨化したミイラが発見されたらすぐに解体され無念仏として埋葬されてしまうだろう。
出家し僧侶になっても同じである。
海外なら可能だろうか。それも難しい。
空海のようにこの地球上に即身成仏が存在し、いまだに食事が届けられていることは奇跡のようものである。
私は、地球上において自身がそのような存在になれることを、信じることはできない。
では、どうすれば即身成仏になれるだろうか。
それは、宇宙において可能である。
現代、宇宙旅行にいくには130億円が必要と言われている。
遺体を灰にして宇宙に撒く宇宙葬でも数億円かかる。
では、肉体をそのまま宇宙 に放流するには、いくらあれば可能だろうか。
現代ではやはり難しい。
だが、20年後には宇宙旅行の値段も半値となる。
尊厳死として、宇宙で死ぬことも可能となるだろう。
10億円。おそらく、それだけあれば実現可能である。

私は、即身成仏となり宇宙空間を漂う未来の自分を信じている。
 

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純文学作家(自称)