スランプ

書くということは、井戸を掘るようなものであると、ある作家が言っていた。

何がどれぐらい涌き出るか、それは掘ってみなければ分からない。
もしかしたら、掘っても掘っても何もでないかもしれない。
それでも掘り続けることを諦めない人間が、書くということを背負って生きているという。

芥川も大宰も三島も、井戸が枯渇してしまった。そう評価する作家もいる。

私はどうやら、本格的にスランプに陥ってしまったらしい。
掘っても掘っても、泥水ばかりが湧いてくる。
そんなときはどうするか。
泥を掬い続けるしかない。

もしかしたらはじめから泥水しか湧いていなく、私がそれを、真水と勘違いしていただけかもしれない。

真水と評して、泥水を人に飲ませていただけかも知れない。

もしそうなら、すまないことをしたと思う。
私の井戸の水が不味いときは遠慮なく吐き出して欲しい。

それでも私は、井戸を掘ることを諦められない。

それはきっと、書くということに限らないのだろう。

あなたがもしスランプを感じたら。
それでも自分の井戸を掘り続けて欲しい。

どんな井戸でも水は必ず出る。
私はそれを信じている。

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純文学作家(自称)