僕に君に、雨が降る

原稿用紙に文字を埋めている。


湿った匂いが鼻を刺激する。

空が泣きはじめた。

アスファルトの地面に斑模様が描かれ始めた。

色とりどりの傘が空に向かって広がっている。

通りすぎる自動車のワイパーが動き始めた。

濡れた地面を見つめながら、私は早足で歩きだした。

池の水に波紋が広がり、すぐに別の波紋と重なった。


雨の降りはじめを表現しようと候補をいくつか書いているが、どれもしっくりこない。
漱石ならきっと、会話の中でさらりと雨を降らすだろうし、谷崎なら少女が差し出す無言の傘の描写で、雨だと知れる。
朝まで云々考えているうちに、いつしか主旨が変わり、できるだけ雨に近い単語を使わず雨を描写できるかと言葉と遊んでいた。

昨夜、知り合いの女性の通夜があった。
30歳。癌であった。


電車に乗ってきた乗客の傘の先端から、水が垂れている。

竹の葉についた水滴が茎に流れ、地面に向かい一筋の線を走らせた。

頭の中のイメージではちゃんと雨は降っているのに、それを表現する技量が、今の私にはない。
悲しい、ということをそのまま悲しいと表現できたら、きっと文学はいらないだろう。
同じように、雨が降るということを雨が降ると表現したら、文学の敗北なのではないか。
そうしてむきになって、私は何かと闘っている。

事象から借り物のように言葉を借りて、本物の感情はどこかにしまっている。
人の命もきっと借り物で、本物の感情はどこかにしまわれていくのだろう。

雨が降る
僕に君にあの人に

今日はきっと、文学の負けである。
文学が現実に勝つ、なんてことはないのかもしれないが、その現実と闘うことで、文学は生まれる。
だから私は文学を書き続ける。

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純文学作家(自称)