日常

いつもより遅い時間の電車に乗った。
タイミングよく空席ができ、そこに座る。
中刷り広告や壁に貼られたポスターをぼんやり見ていると、ゆっくり電車が動きだした。
窓に視線をずらすと、灰色の雲が浮いている。
今夜は雨になるのだろうか。
場合によっては会社に泊まることになるだろう。そんなことを考えながら携帯電話を取りだし画面を見つめる。
何か文章を書きたいと思ったが、思考は握った砂のようにこぼれていく。
私はなぜ言葉を紡ぐのだろう。
時々それが分からなくなる。
SNSを開き、他人が載せたいくつかの投稿に目を通す。
心に触れたものにボタン押し、それから動画アプリを開いて、何とはなしに眺めはじめた。
男3人と女2人の外国人グループが宮島や厳島を旅行する動画が投稿されていた。
一組の仲睦まじい男女はカップルなのだろうか。互いを見つめる視線の中に深い愛情が含まれている。
それから広島市内を自転車でサイクリングし、笑顔で広島焼きを食べる5人。
原爆ドームに広島城。首を振る宮島の鹿。
今までも、何度か似たような動画で似たような景色は見ただろう。
だが、動画に映る景色はその瞬間にただ一度、そこにしかないと感じ、私の目には涙がたまっていた。
乗り換えるために電車を降り、ホームから階段を登る。
涙で前があまり見えない。
つかまった手すりに、人間という存在の優しさを感じる。
一段一段登る階段に、人間の思いが宿っている。
改札から地上に出ると、太陽がわずかに顔を出している。
肌に感じる風。
何もかもがありがたく、何もかもがいとおしい。
ようやく気づく。
生きること、そのことが直接感謝につながる人もいるだろう。誰かを愛することで感謝につながる人もいるだろう。
私はたまたま書くことを選び、書くことに向かうことで心を動かしそれが感謝になる。
だから、私は日常を書く。

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純文学作家(自称)