儚さと永遠は、同義語である。
6月も、あと3日を残すのみとなった。
永遠と思えし時間にも終わりがあり、一瞬だと思えた時間の中に、永遠が存在した。
6月はそんなふうに過ぎていった。
6月は旧暦で、水無月(みなづき)という。
これは水がないのではなく、水の月という意味を表している。
水月といえば人間の急所、すなわち、みぞおちという意味も含んでいる。
また、森鴎外が舞姫を執筆したのが水月ホテルであり、川端康成の名作の一つに「水月」がある。
これだけ条件があれば、100枚ぐらいの短編が書けそうだと思ったが、私はすぐに首を横に振った。
6月に書き上げる予定であった作品が書き上がらず、最近は毎日の勉強も滞っている。
鏡に映る花も、水に浮かぶ月も、確かに美しい。
儚いから美しいのか、美しいから儚いのか。
私には分からないが、一つだけ、確かなことがある。
鏡花水月の夢から、そろそろさめなければいけない。
やらなければいけないこと、やるべきことが待っている。
来週からは文月。今年の始めに、今年は文の年とすると願った。
何をおいても、私は書かなければいけない。文月にある七夕の空に誓って、たとえそれが鏡花水月のような人生であっても、私は必ず文学を全うする。
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純文学作家(自称)
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