現存在から実存へ

『夜と霧』の著者であり、精神科医であったV・E・フランクルが言うように、人間は本質的に何ものにも規定されない。
そんな人間の状態を、哲学では実存(ジツゾン)と表現する。

通常、人間の思考や判断と言ったものには、環境の影響や時代の癖といったものがこびりついている。
それらを少しづつはいでいくと、人間という存在の本質が見えてくる。

また、人間は食べた物と今まで生きた結果だけで、成るわけではない。
確かに人間の細胞は、摂取した栄養と、空気などを体内に入れた結果で、形づくられている。
人間の精神もまた、生得的な性格、環境、生まれてからの経験で形づくられている。(もしかしたら過去世の経験も)

それでも、それは人間の本質ではない。
過去の結果というものは、人間の現存在を現している。
目をよくこらし、彼、彼女を見てみると、その現存在からわずかにずれた、意思した先の、彼、彼女が見えてくる。
それが実存である。
意思した先というのは、簡単に言えば、未来である。
明日という未来は誰が作るか。
過去から今日の結果で、明日が決まるわけではない。
過去がどんな日でも、今日がどんな日でも、明日という日は、あなたの意思が選択できる。
その、何にも規定されない、未来とともに存在する人間の在り方を、実存という。
人間は本質的に、未来において自由である。
あなた自身があなたを作ること。
そんな時、あなたは実存として存在している。

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純文学作家(自称)