器と機の関係について

食器や洗濯機に使う、器と機の漢字の使い分けの話ではなく、人間の器(うつわ)と、機を見るに敏といった言葉で使われる機、つまりはチャンス、平たく言えば人間の運と呼ばれる事柄について考察してみたい。

人間には器がある。器は態度や行動で測られることは、誰もが経験として感じていることと思う。

器を大きくする方法や器が大きいことの効能については啓蒙書などに書かれているのでそちらに譲るとして、とりあえず、人間にはある一定の、その人自身に適した器というものがある。

器と言うぐらいであるから、それには何かが入る。
器が大きい人と小さい人とで、その中身は違うのだろうか。
結論を言えば、自身の器に何を入れるか、それは自分で選択できる。
器が大きれば、いろいろなものが入る。
小さいと入りきらずに溢れてしまう。
器にはまず、機が入っている。

最初に書いたとおり、機とはまだ形にならない、これから何かが起きる予兆みたいたものである。
それは良いことも悪いこともある。
器が小さく、悪い予兆が器に満たされた場合、当然悪いことが起きる。
良い予兆を入れる余裕もなく、感情の爆発をともなう人もいる。
確かに爆発させることで器に入ったものは飛んでいく。
だが、そのときは他の大事なものも吹き飛んでしまっていないだろうか。

なぜだか分からないが、器には良い機も悪い機も入る。
そのとき冷静に、自分に適した機を選択できるか、それが大事である。
お金が増えそうな機、良い出会いがありそうな機、もっと簡単に言えば、金運、出会い運、健康運、愛情運、家族運、仕事運、才能運、食運、有名運といったさまざまな運があり、これは欲と言い換えても良いかもしれないが、よほど器が大きい人でない限りは、欲しいものすべてを満足いくまで器に入れることはできない。
金運ばかりを器に入れていると家族運のない生活をおくったり、異性運ばかりを集めていると、仕事運が溢れてしまうこともある。
自分が何をどれほど望んでいるか、それが器にあっているか、見極める感覚が必要である。

私の場合、人を信じられなくなった次の瞬間、人を信じられなくなるほど自分の器はでかいのかと反省しているところだが、誰かにブロックされたぐらいで落ち込んでいた私の器は、確かに水瓶ほどに小さいのだろう。
ある機がなくなったことを落ち込んだりする必要はない。

空いた器のスペースには必ず別の機が入る。
だから、振られたり大金を失ったり仕事で失敗したり騙されたりしたら、むしろ感謝するのが良い。
できるだけワクワクしていると、ワクワクするような機がやってくる。ワクワク運ばかり集めていると確かに金運はなくなってしまうので(笑)、健康、いろいろな出会い、仕事、家族、お金と、バランスよく器に入れると、バランスのよい生活となる。
器を文学の機で満たせば、文学で大成する。
あなたが何を欲しているのか、それを大切にすること。
やがて機は熟し実を成す。
それは自身が器に入れるものを選択した結果である。
あなたの望みが、将来のあなたを形作る。

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純文学作家(自称)