文学的な、余りに文学的な vol.6~田山花袋と蒲団~

いまや絶滅危惧種である純文学作家であるが、かつてはこの地球上に我物顔で存在していた。
彼らの生き様と作品について、偏見と偏愛を込めて、ときには辛辣に語りたいと思う。

さて、今日の話は田山花袋(たやまかたい)である。
まずは年表を見てみよう。

1872年(明治4年)1月22日-栃木県邑楽郡館林町にて誕生。
1890年(明治23年)- 上京。尾崎紅葉に入門、江見水蔭に指導を受ける。
硯友社や『抒情詩』などで詩や小説の発表。
1899年(明治32年)- 結婚。博文館に勤務し、校正を業とする。
1904年(明治37年)- 日露戦争勃発、写真班として従軍。
1907年(明治40年)-『少女病』『蒲団』発表。
1909年-『田舎教師』。
1914~1916年-紀行文『日本一周』。
1917年-紀行文『山水小話』、回想集『東京の三十年』。
1924年-『東京震災記』。
1926年-『温泉めぐり』。
1928年-脳溢血により入院。
1930年(昭和5年)5月13日-死亡、 享年58歳。

以上で見たように、田山花袋は明治の初期から昭和の始めに生きた、自然主義作家である。
それでは田山花袋の作品をいくつか見ていこう。
田山花袋の変態性を一番良く表している作品と言えば『少女病』である。
ちなみに変態と言うのは褒め言葉である。

少女病~あらすじ~
かつて少女小説で流行した、妻子のある37歳の男が、今では廃れたように、雑誌社の社員として働いている。これは田山花袋自身がモデルである。
その男の癖というか趣味というのが、毎日の通勤時に若い女学生を観察することである。
これは、現代の男もほぼ一緒であろう。

「若い女に憧れている」という主人公の男はそれを美文新体詩として原稿用紙に書いたりもしている。
そして、「若い時に、なぜはげしい恋をしなかった? なぜ充分に肉のかおりをも嗅かがなかった?」といった妄想をこじらせ、美しい少女が「誰の腕に巻かれるのであろうと」考えたりもする。
これもまあ、現代においてもそのような妄想を、男はよくするだろう。

また、たまたま少女の髪から落ちた留針(ピン)を拾い「もし、もし、もし」と二度も大声でよびとめて渡すと、それを特殊な邂逅として、少女も自分を覚えているはずだという妄想を感じながら、それ以降も少女とすれ違ったりするのである。
まあ、実害のないこれぐらいの妄想なら、現代の男もするかもしれない。

別の日には美しい少女に出会い、「天上の星もこれに比べたならその光を失うであろうと思われた」などという感想を漏らしたりもする。
天上の星の方が絶対に綺麗だと思うが、男はときにそんな大それた感想を吐いたりもする。

さてある日、車内の混雑に関知する暇もなく、いつものように妄想いっぱいで少女を眺めている主人公であったが、乗り換えか何かの拍子に扉から車外に飛びだしてしまう。
ちょうど運悪く対向の電車がやってきて「あかい血が一線ひとすじ長くレールを染めた」と物語は終わる。
まあ、そのようにして死ぬ男は、現在にもいるかもしれない。

だが、そのような妄想を文学にして発表する男は田山花袋という文学者ぐらいである。
さて次は田山花袋の代表作である『蒲団』を見ていきたい。
が、長くなったので一度区切る。

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