GWも半ばを過ぎて

平均寿命から考えると、私の人生も残り半分となった。
まだ半分もあるという思いと、もう半分をどう生きようかと、いわば人生設計のために、GWの半分を過ごしてきた。

もちろん誰でも、今日突然死ぬという不条理に見舞われるかもしれない。
2003年から日本人の年間死亡者は100万人を越え、今では年間130万人の方が亡くなっている。
私自身はいつ死んでも良いと思っているが、もちろん、自ら死ぬことを潔(いさぎよ)しとは思っていない。
人生の半ばでさまざまな死と対面し、天寿をまっとうした死もあれば、なぜあなたが?と、天を恨まずにはいられないような死もあり、この死というものの不可避と思れる事象の謎に頭を悩ませてきた。
人類が誕生して20万年あまり経過するが、この、人が死ぬという運命の謎は、明らかになるばかりか、現代になってさらなる混迷を深めている。

分からないことは分からない。
人はいつか必ず死ぬ、そのことを念頭に、残りの生をいかに生きるか、私なりの考えをまとめたい。


その前に20数年前のGW中にあった一つの出来事に思いを巡らせたい。
「何をしたってどうせ死ぬんだ ばかやろう」そうメッセージを書き残し、14歳で自殺した少年がいる。
その少年にとって、生きるとは何であっただろうか。
少年にとって、お金や名誉といった成功、何かが欲しいといった物欲もあまりなかったのだろう。 そんな相手に「どうせ死ぬなら楽しく生きよう」だとか、「楽しんだもの勝ち」といった上昇志向的な励ましや、「あなたが死ぬと悲しむ人がいる」といった、自分の価値を誰かの存在に委ねるような慰めは、まったく彼の心に入ってこなかっただろう。
自分の生を誰かのせいにしたいわけでもなく、何か夢中になれることが欲しいわけでもない。
20数年間、私はどうしたら彼が生きることを選択しただろうかと考えた末に「人は何もしなくても救われる」という結論を出した。
14歳の彼という存在、彼の生きた軌跡を「ありがとう」と心から認めることが、彼を救うことになるのでないか。
そしてもう叶わなく、検証のしようもない結論だが、彼は死なずに生きたのではないか、そんな願いを胸に抱いている。


世の中には解決すべき問題がたくさんある。
現実に具体的な悩みで頭を抱えている人もたくさんいる。
それでも、残りの生をいかに生きるか、という問いに対する応えは「人は何もしなくても救われる」、そのことを証明するために、そして彼のような魂を慰めることに費やしたい。

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純文学作家(自称)