「ブルーハーツ」な夜に

数十年前に一度閉ざした小説を書くという作業を、去年の5月から再度挑戦している。
あれから1年が経つというのに筆は思うように進まず、今日も書きかけのノートを閉じて「ブルーハーツ」を小音量で聴きながら気晴らしに携帯電話の画面の上に文字を走らせている。

深夜3時。仕事の帰りだろうか、ときどき、車が水しぶきを上げて外を通りすぎる。
私も朝には仕事に出かけなければいけない。
だが、今夜はきっと眠れないだろう。
書きかけの小説が気になるわけでもなく、降り続く雨が睡眠を邪魔しているわけでもない。

『歴史が僕をといつめる 眩しいほど青い空の真下で』 
ブルーハーツの旋律が胸に染み込んでくる。
『世界中に建てられたどんな記念碑なんかより、あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう』
元々はブルーハーツが嫌いだった。いや、大嫌いであった。

1987年に彼らが『リンダリンダ』でメジャーデビューを果たしたとき、僕は小学生だった。
田舎町に住む同級生の不良たちは放課後になるとタバコをむせるようにふかしながら、極度に曲げられた自転車のハンドルを器用に扱い、その車上で『ブルーハーツ』を叫んでいた。
そんな彼らを僕は、冷めた目でみていた。
それでもなぜか、放課後になると、僕は彼らと一緒に過ごしていた。
といっても、月曜日と木曜日の夜は剣道の稽古があり、火曜日と水曜日と金曜日は算盤の教室が僕にはあった。
夕闇が町を包む少し前に僕は彼らと別れ、憂鬱な気持ちをぶら下げて帰宅するのだった。
家に帰ると、原因は分からないが、毎日のように4つ上の兄の拳が顔面に飛んできた。
鼻血で僕の布団は真っ赤に染まっていた。
それでも習い事は休まず行っていた。
きっと、家にはいたくなかったのだろう。
いつしか鼻の軟骨が潰れ、目はつり上がり、僕の顔は怪物のように醜くなっていた。
それを揶揄するような同級生がいた場合は、泣いて詫びるまで、兄から受けた拳以上の力を込めて、僕は彼らを殴り続けていた。
そんなある日、学校の休憩時間に、暴力団の父を持つ、学年で一番素行の悪い同級生と喧嘩をすることになった。
たかが小学生の喧嘩だが、誰にも負けない自信が僕にはあった。こっちは毎日鍛えられている。
だが、理由は分からないが、僕はなぜたが、悲しくなって拳をだせなかった。
その不良の彼を好いている女の子が遠巻きながらも必死に止めようとするのを、僕は何でもないという風に、拳を顔に受けていた。
やがて彼は殴るのをやめて、教室に戻っていった。
僕も少し遅れて教室に戻った。
 それから一日中、僕に話かけてくる者はいなかった。
放課後、僕は一人教室の中で泣いた。
6年生になり、その不良番長ともいつしか仲良くなっていた。
教室では、ときとぎ誰かが無視の対象になったり、嘲笑のターゲットになったり、そして時には陰湿な事件が起きたりしながらも、時は過ぎていった。

やがて卒業。
何人かは私立の中学に進み、ほとんどの生徒は同じ市内の、2つの小学校から進級してくる中学校に通うことになった。
入学式当日。さっそく他の小学校から進級してきた生徒に因縁をつけられ、二人相手に馬乗りされることになったが、誰かがあいつはやばいと耳うちをしてくれて解放された。
そして、その、もう片方の小学校から進級してきた一人の女の子に、僕は淡い恋心を抱くようになるのだった。
いわゆる「初恋」である。
めったに二人で会話することはなかったが、教室の後ろの席から彼女を見ているだけで、僕は幸せを感じていた。
その間に、剣道部の先輩たちは勝利を重ねていった。
市はもちろん、県の3大会を優勝し、関東大会や全国大会に進んだり、僕も少しだけ強くなり市で準優勝となった。
男子部員はみな求道者のように頭を丸めていた。
1年365日、休む日なく稽古をしたのはこの年だけである。
やがて二年生なり、初恋の人とは別のクラスとなってしまった。
それでもときどき、剣道部員のいるその教室に彼女の姿を探しにいっていた。
彼女の髪はだんだんと赤毛になり、少し身体が丸くなったかと思うと、劇的に細くなり、歯も小さくなっているようだった。
彼女の悪い噂を聞いたのもその頃だったろうか。
タバコやシンナーは分かっていたが、他の薬や、どこそこの男の先輩の家にしょっちゅういるらしいといったくだらない話もあれば「かなり年上のひとと車に乗ってホテルに入った」という酷い話もあった。
不良の同級生たちが他の中学校に殴り込みにいった話や、バイクの改造車で雑誌に掲載されたことを得意気に話す中で、僕は自分が何をしたいかも分からず、ただただ心の中で、初恋の人に対し「あなたが好きです」と叫んでいた。
そうして昼は、僕は求道者のように稽古に打ち込み、夜になると同級生がどこかで入手してきた原動機付自転車を闇の中に走らせるようになっていた。
そしてある日、先輩の一人がいつもの通りバイクを飛ばしガードレールにぶつかり、亡くなるという事故が起きた。
僕はやはり、ただただ冷めたように、その死の知らせを聞いていた。
彼女はときどき学校にきたり、来なかったりしながらも、やがて僕らも中学を卒業することになった。
『悪いことをたくさんしました。でも後悔は一つもありません。』
卒業文集に、彼女はそう書いていた。
高校でも、僕は剣道を続けていた。
高校3年生になり、僕は将来何になりたいのか、まったく決められないでいた。
勉強などまったくしなかったが、我流で小説を書いて自分を慰めていた。
ときどき彼女の噂は聞いていた。
高校を辞め、風俗で働いているらしかった。
自分は何者なのか、何をしたいのか、そんなことが分からずにいる僕より彼女がよほど大人に思えた。
僕は浪人し、ズルズルと大学に進学した。
19歳。先輩やいろいろな人に助けられるが、それはまた別の話である。
20歳になり成人式の当日。
関東を大寒波が襲った。
大雪が降る中を、僕は彼女を見つけるために会場に向かった。
だが、式典では彼女の姿は見つけられなかった。
夜から始まった同窓生との酒宴の中で、やはり僕は冷めていた。
そして会が終わる直前で、同級生の一人からまた僕は彼女の噂を聞いたのだった。
彼女はとうに、亡くなっていた。
僕は平静を装い店をでて、雪の中を歩きはじめた。
雪夜は妙に、静かだった。
10㌔を歩いて中学校につくと、僕は校門を飛び越え校庭にはいった。
僕は雪の中に大の字になり、そしてそこで、朝まで泣いた・・・

『ああ君のため僕がしてあげられることはそれぐらいしか今は、できないけれど』
ブルーハーツが、歌っている。

もう、朝の7時である。
『そのとき僕たちは何ができるだろう。右手と左手で何ができるだろう。今しか僕にしかできないことがある』
ブルーハーツが歌っている。
『いつのまにか生まれてきて いつのまにか歩きだす さなぎになり蝶になり 飛んでいけるんだよ』
ブルーハーツが歌っている。
『もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら そんなときはどうか愛の意味を知ってください』
ブルーハーツが歌っている。

ああ。
そうか。
あの夜から僕は、ブルーハーツが好きになった。

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