オン カカカ ビサンマエイ ソワカ vol.5

タイトルをそろそろ変えようと思いつつも、このテーマをもう少し掘り下げる必要も感じている。仏や真言は人を救うためにあるのだが、今日はその「救い」について考えてみたい。

仏が人を「救う」という行為にはいくつかの内容を含んでいる。

第一の救いは、人を仏にすることである。これは絶対的な救いであり、仏になるということは、永遠に等しく救われることだと理解している。
菩薩が言う「救う」とはこの意味で使われることが多い。

次の救いは、死後に極楽浄土に行ける、という救いである。これは宗教的な側面での救いであると理解している。

そして最後に、困っている人を助ける、という意味で「救う」という言葉を使う場合である。

現代では3つめの「救い」を求める人が多数を占め、死ぬまで毎日笑って過ごしたい、とは誰もが思うところであろう。
ではどうすれば毎日笑って過ごせるのだろうかと考えると、毎日笑って過ごすことを実践すれば良い、ということである。

もう少し具体化していくと、毎日笑って過ごすことの阻害となることは何か、と考え、その阻害要因を取り除けば良い、ということになる。

およそ人間が笑えなくなるのは、種々の問題があるからである。
お金の問題、人間関係、家族の問題、病気・怪我、仕事、自身の尊厳、内面の問題、地域、歴史、法律、名誉、これらの問題に対し、抱えている問題が解決すれば、その人は救われる、ということになる。
だが、このままでは絵に描いた餅である。
禅問答では「結局人を助けてどうしたいのだ?」ということをずっと掘り下げていくのだが、きっと、宇宙の果てまで掘っても、誰も救われないのだろう。
そういうことで、早速誰かを助けにいきたいところだが、5月1日の今日も図書館に行く。

今週読む本
「十三仏の由来」
仏教の経典には、多種多様な仏や菩薩が登場する。それはなぜか。それは、人々の悩みが多種多様であり、解決方法も多種多様であるからである。なので、仏は人を救うために方便を使う。何かしなきゃいけない、という心にとらわれている人には、生きるだけで素晴らしいと慈悲を与え、人を殺めた人には、それでも人は改心して救われると、慈悲を与える。
そういうことで、人にはそれぞれふさわしい仏と救いがあるのである。

「こころにとどく歎異抄」
作家、三田誠広氏による親鸞の書、歎異抄の解説である。
私の親鸞の理解がどの程度か、そして、作家としてどのぐらいかければ本にして良いか、そして何より、私の好きな作家のため手にとってみた。他力本願や悪人正機によってでしか救われなかった人がいることも事実であろう。

「デザインサイエンス百科事典」
デザインが好きでそれを生業にする方がいる。
仏に言わせれば、それもまた救いである。
そんなデザインに興味が湧いた。私もデザインを勉強したい。

「地図化すると世の中が見えてくる」
世界で今起きていることをマップ化した、世界地図である。例えば今人口は2.6秒に1人ずつ増えている。
どの地域で人口が増え、どの地域でどのぐらい減っていっているのか、そういったことをカラー地図で見やすく示してくれている。
ちなみに私は、事故物件マップに倣い、関東にある菩薩像マップと、たこ焼き屋マップ、立ち食い蕎麦マップ、公衆トイレマップを作りたいと思っている。

「プラグマティズム入門」
実用主義とも言われるプラグマティズムの解説書である。
人間生活における有用性を離れて真理はありえないとするこの哲学は、はたして21世紀を越えて人々の指針となるであろうか。
確かに、仏などは無用な人にとっては無用だが、それが実生活に影響する人には救いとなるだろう。

「民事法入門」
法律も人々の紛争を解決手段の一つである。もっとも私は裁判による解決よりも、許認可や制度申請によって誰かを助けることをしたい。簡単に言えば、緊急の生活資金は役所の小口資金で融通できる。
書類や手続きが面倒なために金融屋にいってしまう人がいるが、国の制度なので利子もほぼない。企業への融資制度しかり、個人の投資も、国をとうして他国の国債を買うと、ほぼ安全にできる。(国が潰れない限り) そういった法律の活用がしたいため、行政書士の勉強をしている。

「もしもハリウッド監督が会議を仕切ったら」
会社を辞めて独立したけどいまいちな小者に限って、会議はくだらないなどと言ったりする。それはきっと当人がくだらないからであろう。
会議は面白い。それをストーリー形式で示してくれる本である。
いいたいことをいって共通課題の解決に至る道筋を示す。私も会議は楽しいものだと思っている。
一人で何でも解決できる、という人がいるかもしれないが、そんな人は、生まれた直後に尻を叩いてもらったことを忘れてしまったのであろう。
人は誰かの助けなしに、息をすることもできない。

「VRビジネスの衝撃」 
15年ほど前、セカンドライフというインターネット上の3D空間による仮想空間が流行したことがある。
多くの人間がそこに集い、他者と会話し、恋し、結婚し、そして消えていった。
私もその一人である。
ある日その3D空間上の土地が、現実世界の30万$(約3千万円)で売れるということがおきた。
これはなかなかなビッグニュースであった。
それからめざとい人間はVR(仮想空間)ビジネスに力を入れだした。
その成果がようやくVR遊園地など昨年辺りから出始めている。
私も当時、仮想空間で美術館など作りたいと考え、画像処理の資格などとったが、15年間別の情報処理の仕事にかまけ、何もできずに至る。
いつか法と臨床とコンピュータシステムを融合した、新しい事業をはじめたいと考えている。(VA内の臨床プログラムにより宇宙に行ったり会いたい人に会ったり仏に会えたりするシステム)


「ゲーム的リアリズムの誕生」
大学教授であり作家の東 浩紀氏によるポストモダン社会におけるメディアとコミュニケーション論である。
ようするに、物語はリアリズムを生むということだろう。(極解) これもまた救いを考えるひとつの示唆となる。

「生命を支えるATPエネルギー」
人間は酸素を吸い、植物や動物から貰ったブドウ糖と合わせ、ATPというエネルギーに変換する。
人間は毎日このATPエネルギーを何十キロと作り、消費する。
どんな人間も同じである。
そんな人間も一人として同じ人間はいない。
みな違う経験、思考、思想、環境の中で、それぞれの生き方をしている。そんな人間すべてを救う方法があるのか。
いや、みんな救ってみせる。だからこそ釈迦は山をおり、歩み始めたのだろう。

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純文学作家(自称)