Three days monkの危機(3日坊主クライシス)

趣味は散歩である。そうしておこう。
一昨々日は蒲田から品川までの8.5㎞、一昨日は北千住から越谷までの14㎞、昨日は銀座から北千住まで10㎞を歩いた。

昨日はなぜ銀座に寄ったかと言うと、銀座に12階建ての伊藤屋という文房具屋あり、最近、探している文房具があるのである。
昨年FBで知りあった若きデザイナーが水彩ペンの色を不足していると言っていたので、なるべく多色、100色以上あるペンを求めているのだった。
都内にある大きな文房具屋、といえば伊藤屋しか思いつかない私の店舗知識の乏しいのは脇においといて、私は伊藤屋に対し、ノスタルジックな思い出がある。

その話はまた今度するとして、ペンコーナーを物色したのである。
残念ながら一本400円以上する色鉛筆の120色セットはあったが、水彩筆ペンでは72色しかなかったのである。
虹は何色か?という問題が示すように、そもそも人間は120色を色分けることができるのだろうかと思い調べると、それが能力しだいでできるのである。
昔、何万色のグラデーションを描けるというディスプレイが販売されたとき、人には分からないグラデーションが描けて何になるのかと疑問に思ったが、脳を鍛えることで常人には見えない素晴らしい世界というグラデーションが、彼、彼女たちには見えているのだろう。
ということで、求めていたペンは見つからなかったが、新たな発見に気分を良くし、歩きはじめたのである。

近頃は歩くにあたり、だいぶ前に読んだお坊さんの話を実践している。
人は座禅をせずとも、つまり歩きながらでも瞑想状態になれる、というものだ。
瞑想とは何か。これも難しい問題だが、とりあえず、瞑想すると、脳はアルファー波をだす。
脳をリラックスさせたり、マインドブロックから解き放たれたりするにはアルファー波が良いという。どこかの怪しいセミナーみたいな話だが、本当なのだろう。
さらに深い瞑想ではガンマ波となり、宇宙と一体化できるのだが、そこまで深い瞑想を歩きながら実践するのは難しい。
逆に興奮状態や、言葉で何かを考えていると、ベータ波が活発になる。

そういうことで、なるべく言語化をさけながら、景色をそのまま景色として見ながら足を進める。
これがなかなか難しい。
銀座から日本橋に向けて歩いていると、言語化を促すさまざまな障害が現れる。
横断歩道で信号を見れば「アカ」という記号が見え、どうしても「トマレ」という意味内容が頭に浮かんでしまう。
高島屋では羽生結弦展が開催され、これにも目を奪われてしまう。
日本橋タワーを横切るときには、ここがオープンする前、某生命保険のサーバー室をまるまる移転したなとか、昔の記憶も言語化を伴い蘇ってくる。

瞑想は完全に失敗である。
それでも気にせず日本橋を越えると、風景は変わり、神田や岩本町という街に入る。
大通りから一本逸れた道を歩いているのだが、オシャレなバーや無外流の道場があり、なかなか面白い道である。
今度時間があるときに飲みに訪れたい。

さて、秋葉原の先は上野である。
銀座からここまでで5㎞ぐらいである。
歩くと分かるが、東京は本当に小さい。まだまだ知らない東京はたくさんあるだろうが、23区の面積が626.7km2しかないのも頷ける話である。

気を取り直して歩く。
秋葉原から上野の裏通りは美味そうな飯屋がたくさん並んでいる。
そして風俗店も並んでいる。
今度時間があるときに訪れよう(笑)

そういえば、東京には美味いものがない、なんて言っていた人がいたが、可哀想な人である。
こんなに美味いものが並んでいるというのに。
どんなものでも最上級に美味く感じる舌をもっている人がいるとしたら、きっと、その人は世界一幸せな人であろう。

上野を越えしばらく歩くと隅田川を横切る。
越えるための橋まで道路を迂回する。
このように東京には川も多い。
今では川は道路を分断する厄介な障害物に見えるが、鉄道や車がまだない時代、川こそが街と街とつなぐ通路であった。
そして上野の先、入谷や千住といった地は豊かた森だったのだが、今はビルが乱立する都市部の一部となった。
そうしてようやく、北千住である。
時間にして二時間弱。11000歩ほどである。 

そもそも私が何で歩いているかと言うと、
先日、労働安全衛生法第66条の規定により、健康診断を受けてきたためである。
いわゆる定期健診である。
ある筋に言わせれば、国は国民の健康のため、というわけではなく、少しでも多く長く国民から税収を徴収するために制度を作った、となるかもしれない。

さて、診断の結果は誰も興味ないので話さないが(笑)、診断後、医療スタッフの方から、「医師からお話がありますので」と別室に呼ばれたのだった。
なんだろう?まさか命に関わる病気があったのか、超音波技師が俺のお腹の脂肪に惚れたのか、もしかしたら愛の告白をされるのだろうか、などと考えながら専用の医務室に入ると、20代半ばほどの、溌剌とした笑顔が眩しいほどの白衣の女医師が、私を待っていたのだった。

・・・続く(かも)

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純文学作家(自称)