人は変わるのか

6日ぶりに投稿する。
こんなに間があいてしまったのは、私が美少女との戯れに耽っていたからでも、美魔女との駆け引きに興じていたからでもない(たぶん)。

先週末に訪れた矯正展の後、自分の中で湧いた疑問を消化すべく、自身が腑に落ちる言葉を模索していたためである。
人は変わるのか、それとも三つ子の魂百までと言われるように、人は変わらないのか。
それが私に湧いた疑問である。
解を急ぐまえに、疑問とともに先週から読みすすめた本を俯瞰してみたい。

「人間はなぜ人間か」
一個人の問題はさておき、人類全体ではどうだろうか。
新人類と言われる、現代につながるホモ・サピエンスが東アフリカに誕生してから20万年が経過したと言われている。
20万年前の彼らと我々は、はたして何が違い、人類はいかに進歩したのだろうか。
紀元前3000年ほどに起こった文明の夜明けを越えて、20万年前の先祖と比べると、確かに我々の生活は便利になった。だが、食物を食べ、恋をし、生殖をし、子を育て、ときに争いをし、そして死ぬ、そんな人間の本質は変わったと言えるのだろうか。

「文字の歴史」
文明の歴史とは、文字の歴史とも言える。
「日本語」という言語ができてたかだか数百年であるが、その間にも日本語は変遷している。
一般的に言語は思考を規定すると言われる。
日本語で思考するようになる、つまり日本人という存在になって人類の歴史と比べるとまだ歴史は浅いが、日本人もまた、言語とともに変わってきた存在と言えるだろう。

「仏像の顔」
仏像の顔というのもまた時代で変わる。
そして優れた芸術作品というのは、見る度にその印象を変える場合がある。
仏像の顔が優しく見えるとき、それはきっとあなたも優しい顔をしている。
そしてまた、優れた芸術は人を変える力がある、私はそう感じている。

「小さな殺人者たち」
アメリカで起きた少年による殺人の分析である。人はなぜ犯罪を犯すのだろうか。いや、その問いは問いとして不十分である。
人は本当に自身のしたことを省み改心するのだろうか。 そして、司法はなぜあるのだろうか。その答えを私が出すにはまだしばらく時間がかかる。

「電子書籍奮闘記」
グーテンベルクの活版印刷により、言葉、そして文字は急速に世界に広がった。そして今の時代、コンピュータにより以前にもまして言葉が世界に広がりつつある。
世界はこれにより変わるだろうか。

「剣道事典」
私は6歳から26歳まで竹刀を握っていたが、剣の道を歩むことは人を変えるだろうか。
確かに武道は戈(ほこ)として人間が人間をなくす直前で踏み留まらせる力がある。
だが、自我を失くした人間を再生する力が武道にあるだろうか。私がそれを知らないのは、私が武道の人間ではないからであろう。
ただし、武道を通して出会った人に素晴らしい方がいるのも分かっている。

「大人のためのお稽古ごと」
人が変わるのに年齢は関係ないと言う。
お金が人を変えないのは自明なことのように思うが、貧すれば品性が露呈するのは、もともとあった性質であり仕方がないとも言える。
では、お稽古で人は変わるだろうか。
お稽古そのものもまた、人を変える力はないように私は感じている。
だが、明らかに何かを始めて人が変わったように思う場合もある。
それは稽古を通して出会った人や、自身が琢磨することにより変わったのだろうと感じている。

「天元への挑戦」
囲碁は場の取り合いによる陣地の変化のゲームである。
天元、つまり中央から攻める手というのはまだあまり研究されていない。
果たして天元の研究が囲碁の歴史を変えるだろうか。  

「ビッグデータを開拓せよ」
数年前からAIによるビッグデータの活用が叫ばれているが、現場では相変わらず泥くさい要件定義とUI設計をし、構築ののち、WBSの線を引くための死の行進と言われる業務開発を行っている。
そして生き残った数人で運用を行い、評価を実施する。
AIが人の仕事を奪う、なんていうのはおとぎ話である。
データの価値を決めるのは人間であるため、インプットもアウトプットも人間がやらなければならない。
また、ほとんどのレジ係をAIがやるのなら、むしろ人の暖かみのある人間のレジ係に需要ができる。レジ係のアイドルも誕生するかもしれない。
弁護士の助手もまたAIがなると言われているが、人間の助手の方がやる気がでるのは自明である。例えミスがあったとしても。

「法の支配とは何か」
法もまた変遷する。
局所的に悪法が誕生することもあるが、人民を無視した法というのは存続できないので、法は時代を写す鏡になるとも言われる。
10世紀後に現代がどう見えるか。立法を正すのが国民の仕事であるとも言える。


長くなった。
人は何によって変わるのか。その答えはまた今度する。

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純文学作家(自称)