私は仏教徒ではないが、写経をしたりお経を読んだり、ブログにもお経を投稿することがたまにある。
それは、経の言葉が良く出来ているためであり、文字の練習にも最適であるためだが、反対に、実際の坊さんが、経をブログに投稿するのはあまり見たことがない。
例えば、最も短い経であればわずか42文字である。
これなどは毎日投稿しても良いように思う。(友達は減るかも知れないが)
参考までに載せる。
延命十句観音経(えんめいじっくかんのんきょう)
観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心
かんぜおん なむぶつ よぶつうーいん よぶつうーえん ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん
実はこの経は偽経として扱われることがある。
お経というのは、お釈迦様の直接の教えである。
しかしこのお経はそうではない。
後の時代に名もない人の創作だから、偽物だというのだ。
そうならば、坊さんの説法以外の言葉もまた、偽物ではないだろうか。
そう思い、経について少し学ぶことにした。
結論から先に言う。
お経の目的が何かと言えば、布施を貰うためでも信者を増やすためでも自分の利益のためでもない。
お経とは本来、救世のために書かれている。
経を唱え経と一身になり、観音様の力を借りることで救世の力を授かる。
その、人の信じる力がきっと奇跡と呼ばれるようなことを起こすのではないか。
それがお経の力である。
ではお経は万能だろうか。
残念ながら、そうではない。
迷いの中にいる人にはまず迷いをなくすことが大事である。
傷ついた人にはもっと優しい言葉が効く場合もある。
怠けた人には厳しい言葉が良い場合もある。
言葉を信じられなくなった人には何より無言で側にいてあげた方が良い場合もある。
お坊さんは救世のために、それを体現していたのだろう。
僅かにも疑った自分を恥じる。
お坊さんは仏を信じることで、人を救う。
私も迷わず言葉の力を信じ使っていきたいと思う。
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純文学作家(自称)
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