キルケゴールの著書『死にいたる病』を最初に読んだのは高校2年の夏だった。
その頃の僕は死にいたる病、つまり絶望に侵されていた。
少し長いが、キルケゴールの著書『あれかこれか』の文章を引用する。
生はなんと空虚で無意味なのだろう!
人々は一人の人間を埋葬する。
人々は彼の野辺送りをし、三鍬の土を彼の上に落とす。
辻馬車で出かけ、辻馬車で帰ってくる。
自分の将来にはまだ長い人生があることを思って心を慰める。
七かける十年が一体どれほど長いというのか?
何故人々は一挙にかたをつけてしまわないのか?
何故外にとどまっているのか?何故一緒に降りていって、
最後の死者の上に最後の三鍬の土を落とす最後の生者になるという不幸にぶつかるものを決めるためにくじを引かないのか?
あの頃の僕の絶望の理由は、今になっても言葉では上手く説明できない。
キルケゴールに言わせれば、人は己自身に絶望する。
ただ、僕は他の高校生のように恋愛や進路といったものに興味が持てなかった。
むしろ、具体的な悩みがある人間を、ただ世俗的だという理由だけで軽蔑していた。
僕はといえば、宇宙の真理を追い求めることが高尚で、日常のことは猥雑だという偏屈な自我を育てていた。
それから数年かかって僕は世界と和解したが、あの頃から倍以上の年を重ね思うことがある。
生は確かに空虚かもしれないが、無意味ではない。
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純文学作家(自称)
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