次の小説のテーマ

古代ローマの時代から現代まで、芸術・ビジネス・被服や格闘技など、人が関わるあらゆる分野においてメメントモリという概念がよく使われている。
近年では死に逝く経営者が『毎日、今日が人生最後の日かもしれない、と考えるとすれば、いつか必ずその考えが正しい日が来る』とスピーチし話題となった。
多くの人にとって、昨日行ったことを明日もし、また明後日もすることを考えたら退屈するに違いない。そして現実にはそうなのである。
革新的な日々を生涯ずっと送れた人など、有史いらい存在してはいない。
死を意識して生きることが本当に人々を幸せにするだろうか。

私は思う。
本当に幸せな人とは、自分が何をやっているか分からない人である。
生きることや死ぬことに関係なく、我を忘れて何かに埋没する。
人間の生き方を追った明治の文豪や、日本の未来を憂えて自決した武士が示した側天去私や敬天愛人といった生き方に私は賛同する。
有名になることや、イノベーションを起こすことが、人間を豊かにするわけでも幸せにするわけでもない。
無名でいいし、昨日掘った穴を今日埋めるような生活でも構わない。
問題なのは何をしてどう生きたではなく、どんな生き方であれ、生きるということをただただ賞賛したいと私は思う。
そんな小説を次は書きたい。

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純文学作家(自称)