歴史に残った文学作品というのは、市井の作品ではないという前提があるにせよ、やはり時代に風化しない物を書くというのが、純文学を掲げる者の使命であると思っている。
そういう意味では、純粋芸術として純文学をやっている人間というのは、今、日本で数人しかいないと実感している。
こんにちほど文学が賑わっている時代はないが、また、こんにちほど文学が衰退している時代もないのである。
それはたぶんに閉鎖的な文壇事情や、作家の内面の問題でもあり、もともと文学とはそういふものであるとも言える。
純粋芸術を魂の糧とする者がしばしば大衆芸術を無視するように、ブンガクを歩く青年が自分が生きる時代を知らないということは良くあることである。
何にせよ、純文学は一文の得(徳)にもならず、○○○扱いされ、時代錯誤を本人にもたらす。
それを当然のように生き、そうして書ける者が、歴史を越えた文学を地上にもたらすのである。
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純文学作家(自称)
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