はじめに断っておくが、私は特定の宗教を信奉するものではない。だが、私の尊敬する人にかつての宗教家が多いだけである。
空海について。
教科書には、唐にわたり仏教の経典をたくさん持ち帰り、真言宗の開祖となった仏僧、ということが書かれている。
少し詳しいと、字が上手だったとか、地方の豪族の生まれで、幼少の頃は、真魚、と呼ばれていたというようなことが書かれている。
で、実際の空海はどんな人だったのか。
親戚のつてで貴族よりも数年遅れて入った大学を一年で中退している。
それから行方をくらまし、24歳の時に「三教指帰」を書いた以外は31歳まで歴史上にその姿をみることはない。
10年あまりの歳月を空海は何をして過ごしたのか。
ルンペンだった、という説もあるが、その辺りのことは小説などに譲るとして、
次に空海が姿をみせるのは、遣唐使の留学僧としての空海だ。
だが歴史書をひもとくと、空海は正式な使者じゃないふしがある。
通訳だとか無理矢理に船に乗り込んだ感じだ。
しかも空海は、本当は仏教発祥の地を目的としていた感がある。
だが、唐にいる間に空海は密教の本質を理解してしまった。
それで唐に留まった。その時唐にいた、やんごとなく偉い仏僧、恵果に会い、たちまち認められ、後継者の称号を与えられる。
二人の出会いを称して、仏が仏に会う、と言ったりする。
そして恵果が入滅すると、空海は日本に帰ってくる。
だが日本に帰り、たちまち空海がすごい!ってことにはならない。
持ち帰った経典のすばらしさが徐々に認められ、雨乞いをしたりして、その実力が認められる。
で、その時もうすでに日本で偉くなっている天台宗の開祖、最澄を密教についての弟子にする。
これはなかなかどえらいことだ。
今でいうと、東京大学の教授が、どこか地方の私大講師の弟子になるようなものだ。
そして空海はとんでもないことを言う。
最澄が密教を理解するには10年以上かかると。
最澄はどうしても密教を学びたかったのだがあきらめ、代わりに自分の弟子を何人か空海の元におくる。
実は最澄の1番弟子もこの中にいて、やがて空海の弟子になってしまうのだが、この話は割愛しよう。
そんなこともありながら、空海もやがて偉くなる。
実は空海はやりたいことがあって偉くなった。
はじめから、そのために偉くなったとも言える。
空海がしたかったこととは、衆生救世だ。
偉くなった空海は、治水工事をしたり、それまでの教育機関は身分の上の者しか学べなかったので、誰でも学べる場所を作ったりした。
しかも仏教だけでなくいろいろなことを教えた。
また各地の温泉を発掘したとも言われている。
そしてなによりも密教の発展に尽力をつくした。
密教とは、大胆に言えば「大衆化」のことを指す。
仏教の大衆化ではない。
ある密教の経典には「男が女の裸をみて欲情するのは真理である」と、そんなようなことが書かれている。
「気にいらない人を排除したくなる感情がわき上がるのは真理である」とそんな内容もある。
密教は人間が人間であることを、そのまま認める。
だから、危ないとも言える。
「好きな女にちょっかいだすから邪魔してやる」のも真理であり、
「旦那と別れて人生やり直したい」というのも真理だ。
人々のいろいろな願い、感情がおりまざったものが密教だ。
その密教を空海が大成した。
今より少し前の時代に空海が生きていたら、政治家にでもなっていたかもしれない。
今の時代に空海がいたら、どこかの企業の代表取締役にでもなっているかもしれない。
そんな気がする。
人間にはみんな真理がある。
生きているという現実は嘘じゃない。
であれば我々は、自分の真理を貫いて生きる、それが密教的な生き方だと、私は思う。
人は自分の思うままに生きていい。
人はそういう風にしか生きられない。
だから人はもっと素直に生きていい。
空海はそう教えてくれている。
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純文学作家(自称)
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