感謝について

謝とは言葉で射ることを言う。
射るとは弓を飛ばすことだが、この場合は言葉の弓を射る。
だから、相手にささらず感じない言葉は「謝」とはならない。
「自分が過ちを犯したことが原因」で相手に負担を与えた場合の謝は「あやまる」の意味になり「相手が自分に対して、何かの恩恵を与えてくれた場合」の謝は「ありがとう」の意味になる。

という前おきはこれぐらいにして、本題に入る。
人は生まれて誰かの助けがなければ、糞尿にまみれて死ぬだけである。
その前に、親がいなければ生まれず、さらにその先のご先祖がいて存在できる。
そして日本に生まれたならば、ほとんどの人が文字を読み書きできるように教えて貰い、一応自分で思考できるようになる。
食べ物はいちから種を植えて育てる必要もなく、マンモスを追いかける必要もない。
寒さをしのぐ衣類や道を歩く靴は金で買え、トイレを流す水も井戸から汲み上げる必要もない。

人は誰かの助けの中で生き、人は感謝に包まれて生きている。それを表現できるか。感謝の弓を射ることができるか。それが、生きるということである。

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純文学作家(自称)