吾れ十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順がう
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず
(論語)
孔子と我が身は比ぶべくもないが、四十を面前にして、迷いのない不動の境地とは程遠いところに自分がいることを知る。
生きるとは全身全霊を持って生きることだと知ってはいるが、か細い息しか吐けぬ自身を恥じている。
かつて武道の達人は日課とする正拳突きにその技の鋭利さからは計れぬ感謝を纏い拳を繰り出していた。
かつての書聖は毎回現す文字は違えどその内包する意味は感謝の一語に尽きていた。
私に足りぬは感謝である。
抜けた髪一本、吐き出す息、一挙手一投足に感謝が宿るまで感謝を尽くすこと、また、私という存在の時間的宿命や、この世に形を成らしめている物理的因果を削いでいき、最後に残るひとかけらの存在が、感謝となること。
過去、現在、未来、すべての存在に感謝が伝わるよう私は尽くす。
祭多まつりのWEB SITE
純文学作家(自称)
0コメント