この世をばわが世とぞ思ふ 望月のかけたることもなしと思へば
藤原道長が53歳の時、三女威子が中宮になったことへの宴席で詠んだ歌である。
翌年道長は隠居し、法成寺を建立し、62歳で死去するまでそこで暮らしていたとされている。
歌の解釈には所説あるが、文学および仏教の教養に深い道長から推測すると「この世」というのが現世という客観的な、誰かれも存在する社会という意味の「この世」ではないことが分かる。
道長の指す「この世」は、今でいう現象学的な意味での「この世」であり、「私」という主観から捉えるべき「この世」である。
そうした場合にこの歌は、やはり月が欠けることを知っている道長の無常感として解釈するのが正しいように思う。
あと一つ何かがあれば満足できるし、パーフェクトな世界になるのに、この世は何かがかけている。
そうした思いが浮かぶことは誰にでもある。
それは絶頂を誇った貴族でも、現代を生きる我々でも変わらない。
道長の場合は長く患っていた糖尿病と、それに伴う白内障に、わが世の欠けを見たかも知れず、現代人は望月を歌に詠む暇もなく、不足を知らず不足を求めている。
だが、画竜点睛の故事が示すように、欠けるものがなくなるというのはまた、すべて無になるのと同義でもある。
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純文学作家(自称)
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