哲学じゃない話

誠実であろうとすればするほど口数が減り、きっと何かを弁明したいときに人間は雄弁になる。
近頃私はしゃべりすぎたのだろう。
我慢できないようなことを、歯をくいしばって我慢するのが人間である。
耐えられないようなことがあったとき、自分の腕を噛んで耐えるのが人間である。
許せない出来事があったとき、涙を枯らして許すのが人間である。
ときどき思う。私は人間なのかと。
そんなときは鏡を見る。
怪物が映っていないか。
顔はなくなっていないか。
そして、私はまだ人間だと思って安堵する。

幸せの定義はみな違えど、誰かの恨みをかって得た幸せなどはまやかしに過ぎない。
四方丸く納めてこそ男であろう。
それができないようなら幸せを語る資格はない。
万物に祝福される道を示すのが、男の道である。
何かの事情でそれができないのならば、やはり我慢するのが人間である。
そしてひ弱な自分を悔いたなら、いつかそれが糧になる。
本気で大事にしたいと思えばこそ、幸せを祈ることしかできないときもある。


少々乱れた。乱文を詫びる。

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純文学作家(自称)