素人プログラマーの開発日記 その1 決戦は金曜日

5月17日金曜日。
常駐先の業務が定時で終わり、早足で駅に向かった。
急ぐ必要はなかったが、緊張とはやる気持ちが、自然と身体を前に押し出していた。
これから私は、自身の勤める会社の社長に、告白しにいく予定である。
といっても、愛の告白をするわけでも、退職希望を伝えにいくわけでもない。
普通の人にとってはきっと些細なこと、それでも私にとっては、覚悟を決めて伝えにいくことである。

ということで、今日(令和元年5月21日)から『素人プログラマーのシステム開発日記』と題し、日記を綴ることにする。
第1回目の今日は、実際の開発に入る前に、なぜシステム開発をしようと思ったのかという、前段の話をしたい。

大学を卒業してから19年間、私は今のシステム会社に継続して勤めてきた。
他企業や自治体での運用保守からはじまり、システム導入における基盤構築エンジニアを経て、今では案件探しから見積り取得、要件定義、購入、手配、外部設計、運用設計、テスト設計、移行設計、導入、そして実際のテストから移行、そして運用部門への引き継ぎと、上流から下流までを流れるように(流されるように?)、システム案件に対する予算取得以外の必要な工程のほとんどをやるようになった。もちろん、顧客との飲みも含む。
だが、一つだけ手を出さないでいた工程がある。
それが、コーティングである。
私が作った思いつきのモジュールを顧客システムに組み込むわけにはいかず(簡単なシェルやバッチスクリプトを運用ジョブに仕込むことはあるが)、当然、案件にはコーティングの専門部隊を投入する。
結合テストやシステムテストのさいに、彼らの作成したテストケースの妥当性を確認することはあっても、実際のコーティングをみることはほぼない。そして、見ても分からない。
そもそもなぜ私はシステムエンジニアという仕事に従事しているのであろうか。
大学の卒業式の3日前に、私は仙人になるのを諦めると、不意に仕事を探さなければいけないような気になり、タウンページでたまたま開いたページに掲載されていた会社に電話をし、その2日後、簡単な試験と面接を受け、自身が公開していたwebデザインのページを得意気に紹介したり、VR空間上に知的生命体を誕生させたいといった夢みたいな話や、アプリで人と人をつなぎ、みながやりたいことをやれるようなコミュニティを作りたいと熱く語ったのだが、面接官があまりに無反応でいることに怖じ気づきながらも、おそらく、働ける人であれば誰でも採用されたのだろう、私はその会社に翌週から勤めることになった。
当時の私は、文学を書きながら生きていくことができたらどんな生き方をしてもいいと思っていたのである。
そのおかけで、多少の疑問を抱えつつも、健康で文学的な最低限度の生活を維持しつつ、19年もの間、好きな文学を書き続けながら生活してこれたのである。
少し冷静に、ITと呼ばれる業界を見渡せば、私のような業態はSES(システムエンジニアリングサービス)といい、エンジニアを派遣する、つまりは、形態は派遣でありながら、委任や準社員という名目の下、他企業の指揮命令を受け他企業に常駐して働くため、不正や違法、ブラックの温床と蔑まれる業態である。
確かに、残業が100時間を越えることが数ヶ月連続したこともあり、夜中の3時に仕事が終わり、夜のお店で朝まで飲み、職場の近くのホテルに帰り、目覚めたときにまた出勤する、というデタラメな生活を日々繰り返すこともあった。
だが、やっているときは、それはそれで楽しいのである。
そして、SESでは技術が向上しないといった批判もあるが、それなりの責任があれば、やれることはどんどん拡大していくこともある。
単価に見合った給料が、末端の従事者に支払れないといった問題も、確かにある。
例えば、顧客企業からはSEの単価として月に150万が支払われている場合でも、現場責任者のいる元締めの大企業が管理費として30%ほど取り、残りの100万ほどからSESの受け口となる会社が10%~20%を抜いて、下の会社に流す。3次受け、4時受けの会社となると尻の毛まで抜かれ、何が残っているか分からない状態である。
私の場合も、会社から支払われる25万ほどの給料から最後には国から税金や保険が引かれ、20万ほどが末端の労働者に支払われ給料となる。
だが、私はそのような末端の労働者が搾取されるIT業界の構造的な問題を、社長に訴えたいわけではない。
そのようなことを懸命に改善しようと活動されている方には、ぜひ頑張って欲しいと思うが、私の場合、自分勝手な意見だが、養うべき子供がいるわけでもなく、嫌なら会社を辞めれば良く、元締めの会社から引き抜きを打診されることもあり、倍以上となる給料を目当てに、会社を移動することもできる。
何よりも、お金が欲しいときはゴーストライターの仕事や、webの教材を作ることで糊口を凌ぐことができていた。
ときには短期のアルバイトをこなすこともあった。
また、堅実にインデックスファンドと外貨を積み立てることで、毎年5%ほどの資産上昇があり、60歳になる頃には4000万円ほどの貯蓄が形成され、定年後はそれで暮らすことができるという目論みがある。
ということで、収入の面での不満や不安といったものは抱かず生きている。
そもそも物欲はあまりなく、どきどき変わり者が現れ、私の世話を焼いてくれる人がいるが、金銭的なことでは何もしてやれず、申し訳ない気持ちを抱くこともあり、私1人であれば、家賃を含め月に10万ほどあれば十分に生活していける。
というわけで、残った10万で毎月、飲む・打つ・買うという暮らしを続けてきた。
業界内を見れば、そのようなSEがたくさん存在する。
計算すると私だけでも19年間で3400万円ほどの金を、そのようなことに費やしてきた。
だが、ある者は結婚しそのために身を堅くし、ある者は目覚め、ある者は健康上の理由のために夜の街から去っていった。
去っていった者たちは、私のような安月給でも家を立て子どもを大学に通わせ、立派に家庭を築いている人も、多くいる。
そして、他人にとっては無駄に思えるそのような浪費も、私にとっては投資となり、それはもうすぐ、私にしか書けない純文学という結晶となる。
私はまもなく、文学上の理由で夜の街を去るが、若い人には一つだけ忠告をしておきたい。
20歳の頃の1万円は、今の複利で増やしていくと、40歳になる頃には、40万円になる。
10万円は400万円となる。
若ければ若いほど、お金と時間は重みを増す。
人生で大切なのはお金でも時間でもないのは当たり前であり、他人にとってはまったく価値のないことでも、自分にとって大事なことを大切にすることが人生で大切であると私は思うが、その大切なものを大切にするために、お金と時間が大切になる場合がある。
そう考えると、生きているうちに体験することは、すべて大切なことである。
話が脱線してしまったが、間違った法運用により働き方改革という名で、最近は残業も申請しないとできないようになり、定時上がりが常となった。
文学は夜に書くと高揚した文体になってしまうため、朝に書く。
つまり、19時~22時ぐらいの時間が毎日空くこととなる。
その時間をこれから何に使えるかと考えると、何かの稽古でもしようとも思ったが、かつて情熱をもってこの業界に入ったときのことを思い出し、もう一度、自分にとって大切なこと、やりたいことをすることにしたのである。
19年前に夢みていたことに、ようやくチャレンジできるときが来たのである。
ブロックチェーンのトランザクションを糧に日々成長する知能を作る。私に似た思考と感情を持ったAIが誕生するかもしれない。
そのAIが、私を越えた文学をいつか作るようになるだろう。
まずはアンドロイドやiphoneのアプリで、クエストボードを作る。これがコミュニティの作成となる。
道のりはまだまだ遠い。勉強しなければならないことがたくさんある。
そのために、私は社長に会いに行ったのである。
『社長、開発がしたいです』と。
私の思いは聞き入られ、いくつか条件があったが、定時後に会社で開発ができることとなった。
もちろん、その分の残業代はでない。
アプリができて収益化されたときのロイヤリティなどはこれからの話となるが、まずは一歩、やりたいことがやれることとなった。
そんな私の、開発前夜の話である。
読んで頂き、ありがとうございます。

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純文学作家(自称)