禅を語るには、太りすぎている

生きるということは、何に時間を使い、何にお金を使い、そして、何に心を使うかということで為っている。
そこに因果というものがある。

人の心には得体の知れない不安が宿るときがある。
自分に未来はあるのだろうかといった不安もある。
健康や身体の不安もあるだろう。
お金の心配、人間関係、子どものこと、そして尽きることのない欲望が不安を生むこともある。
どうしたらそのような不安を取り除くことができるだろうか。
昨日読んだ本には「一隅(いちぐう)を照らす」や「自灯明」という言葉が書かれていた。
これらの概念が、人を不安から助けるだろうか。

今ここにあるということ。
本当は、今が満ちた時間で、ここに「ある」ということに不安はない。
それでも、自分を照らすあなたという存在が、より光るようにはなれる。
その光でもって、人は不安を無くすことができるだろう。
だが、どちらにしろ、今の私が禅を語るには、太り過ぎている。

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純文学作家(自称)