広告のない世界に向けて

空海は『声字実相義』で、言葉と世界の関係を以下のように表現している。

五大皆響き有り
十界に言語を具す
六塵悉く文字なり
法身は是れ実相なり


私なりに解釈すれば、世界は波長でできていて、さまざまな宇宙はその波長から生まれた言葉を持っている。
そして言葉にはそれにふさわしい形があり、その真理は実相である、ということである。

20世紀から21世紀にかけての言語学の主要な研究では、言葉を記号として扱うのが一般的である。
つまり言葉は、現実の事象やモノにとってのイコンや代替えとして考えられるのに対し、空海は実在としての言葉があると言っている。
これはなかなかすごい考えだ。

例えば、今私の目の前にある座面とそれを支えるための金属でできた4本足が地面から立つ物体、つまりは「椅子」を、実体に対する記号として「いす」と呼んでいるが、空海は、実体と同じように実相としての言葉がある、と言っているのである。

通常、日常に溢れている言葉というのは「自己表現」である。
「雨が降っている」という表現には、視点としての私が存在し、「気をつけてください」といった注意喚起には、私は確かに注意した、という予防線が張られている。
「あなたに役立ちます」というというのは「私」から「あなたに」向けた広告である。
つまり、言葉はほとんどの場合マーケティングとなっている。

だから、どんなに己を隠したステルスマーケティングであっても、言葉や記号を使っている以上は、「自己表現」という匂いを断つことはできない。

そんな自我のこびりついた記号としての言葉に対し「私」からの視点ではない、実相としての言葉がある、というのである。

そんな言葉にいつか私も出会いたいと思う。

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純文学作家(自称)