オン カカカ ビサンマエイ ソワカ vol.3

最近、仏教の経典を読むのが趣味である。
そういうことにしておこう。

今日は、お地蔵さん、つまりは地蔵菩薩について説明する。
ちなみに私は敬意を込めて、地蔵先輩と呼んでいる。
地蔵先輩は釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまで、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされている。

ある日、お釈迦さまから急に言われるのである。
次の仏になる弥勒が修行にいくから、それまで一人で地獄とか行ってみんな救ってね、と。
地蔵先輩は二つ返事で六道を巡り、今も救済の旅にでているのである。

そのため、地蔵の本願は、すべての人を救うことにある。
そうしてすべての人が救われ仏になれたら、地蔵自身が最後に仏になると言っているのである。

だいぶ簡略化したが、これが、地蔵菩薩本願経である。

菩薩のスーパースター、法蔵菩薩や弥勒菩薩などはすぐに如来になったり観音になれるのだが、地蔵先輩だけがずっと菩薩のままなのである。
もっとも地蔵先輩も仏になれるのは当然だと言われているのだが。

さて、ついでなので菩薩のスーパースターが仏になった、阿弥陀仏について少し触れておこう。
経典によっては、阿弥陀仏は釈迦より偉く、釈迦の先生として描かれている。
釈迦が言うのである。阿弥陀先生の教えが素晴らしい、素晴らしいと。

確かに、阿弥陀仏の本願である、「四十八願」は素晴らしい。

阿弥陀仏の活躍は『無量寿経』、『阿弥陀経』、『観無量寿経』を読むとよく分かる。

これらの経を第一の教義とする日本で興った宗派としては浄土宗や浄土真宗だが、その違いは分からずとも、法然や親鸞の名は誰もが一度は耳にしただろう。

他力本願、のことを間違って書いたり、いいかげんに書くと、某宗教団体などから苦情がくるというのでめったなことは書けないが、つまりは、阿弥陀仏のその名を一念に唱えれば、みんな救うぞ!という仏の決意なのである。

この考えは、法然や親鸞の独創というわけではない。
もともと経典に書いてある。
だが、書いてあるからと言って、それを現実化しようするものはいなかったのである。
そこに法然や親鸞のラディカルな挑戦がある。

阿弥陀仏は普段は極楽浄土か仏国土にいるので、その力を借りたい場合は一念に思い、現世にお越し願うと良いだろう。

さて、再び地蔵菩薩の話に戻る。
地蔵先輩もまた、救われたければ名を呼ぶように言っている。
今、私は東京の街を歩きながら「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」と唱えている。口は動かしているが、もちろん声はださず、心の中で唱えている。
普通は仏教徒か私のように頭がおかしいか変態でもない限り、真言などは口にしないだろう。
つまりは、経を唱えれば救われる、という大慈悲であっても、すべての人を救う、ということは叶わないのである。
だが、地蔵菩薩もまた、必ずいつか仏になるのである。
ということは、地蔵菩薩の本願が叶うからなのである。
それはつまり、すべての人が仏になり、そして最後に地蔵菩薩が仏になった証しである。
真言も唱えず、救われたいと願わぬ人をも救う、すべての人を救うことができるということである。

地蔵先輩が仏になるためにも、人は何もしなくても救われる 、私はそれを追及したい。

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純文学作家(自称)