2/8から始まった平昌五輪が昨日2/25に閉幕した。
今回のオリンピックでは記録ともに、さまざまな記憶が刻まれることとなった。
記録から言えば、フィギュア金メダル連覇の羽生結弦選手。銀メダルの宇野昌磨選手。
羽生結弦選手と同門の銅メダル、ハビエル選手も素晴らしかった。
女子フィギュアは異次元の戦いと言われたように記録の更新が頻発した。
ザギトワやメドベージェワはもちろん、日本の宮原知子や坂本花織も自己ベストを更新した。
レデツカにいたっては史上初の、アルペンとスノーボードWで金メダルを取っている。
女子ショートトラック3000mリレーでは韓国チームが転倒し最下位からのオリンピックレコードで逆転一位となった。
クロスカントリーでも同じように、ノルウェーのブリューゲル選手がスタート時点で転倒、ストックも折れ最下位スタートしたにも関わらず全員(67人)を抜いて金メダルを獲得している。
小平奈緒選手のオリンピックレコードを更新しての500メートル金。続けて滑走する李選手への気づかいと、銀メダルに泣き崩れようとする李相花への抱擁シーンでは誰もが涙したであろう。
女子パシュートの日本も圧巻の金メダルであった。このシーンも10回みたら10回泣く。
そのパシュートのメンバーである高木美帆は1000mで銅メダル、1500mでは銀メダルを獲得し、一大会で金銀銅という快挙を成し遂げている。
同じくパシュートのメンバーであった高木菜那は、今回から五輪種目となったマススタートでも初代王者となった。金メダル二個も、日本女子では初めてのことである。
そしてカーリング女子の銅メダル。
こうして振り替えると、さまさざまな物語のあった平昌であった。
朝鮮戦争で祖父を亡くした米国の選手が祖父の遺灰を平昌の丘にまく姿もあった。
選手が活躍するにつれ、選手の物語も加熱して報道されるようになった。
その中でも私が特に胸を熱くした物語は、高木姉妹の物語と、カーリング女子のチームを築いた本橋麻里の物語である。
もう何度も聞いたかもしれず、メダリストはみなそうかもしれないが、今回のメダリストは大きな挫折を味わったにも関わらず、腐らず、自分のやるべきことをさ迷いながらも見つけ、自分の道を歩んだ者たちという印象が深い。
高木菜那は高木美帆の二歳の上の姉であるが、8年前のバンクーバーオリンピックに15歳で出場した妹への、当時の思いを口にする言葉は、なかなか強烈である。
「転べば良いのに」と、まったく応援できない自分を憎かったと、今では口にできる高木菜那がどれだけ嫉妬にもがいたかは想像に難くない。
通常、そういう嫉妬心は本人を駄目にさせるものである。
そうした嫉妬心、挫折を乗り越え、高木菜那の今がある。
妹の美帆も挫折を知っている。
バンクーバーから4年後のソチでは、姉の菜那が五輪に選ばれ、スーパー中学生と讃えられたかつての美帆の姿は見る影もなくなっていた。
多くの人はそこで腐る。そして歴史と記録に埋もれていく。
だが美帆は違った。もしかしたら一度は腐ったかもしれない。
スケート靴を履かない日々を過ごしたかもしれない。
それでも美帆は復活し、やがて姉と同じナショナルチームに所属し、ワールドカップ6個のメダルを獲るという日本のエースとなったのである。
羽生選手の怪我からの復活も、カーリングの本橋選手はもちろん、鈴木選手、吉田姉妹、藤澤選手もみな、挫折を乗り越えてきた人たちである。
高木選手にいたっては五輪の直前にかつてのチームメイトを亡くしている。
悲しみは当然まだ癒えていない。
そうしたオリンピック選手たちの物語を知るにつれ、私のような平凡な人間は、挫折を味わったときに腐らないためにはどうしたら良いのだろうか。
そう考えはじめて、いや、大人であれば挫折を知らない人間はいないのではないだろうと考え直したのである。
誰でも一度は覚えがあるだろう。
試験の不合格。
財布の中身と比べ届かず諦めた品々。
上手くいかない日々。
結ばれなかった人への情景。
別れた恋人への未練。
他者との比較。
姉妹との比較。
信頼した人からの裏切り。
破産。
事業の失敗にともなう億を越える借金。
病気。怪我。
最愛の人の死。
そんな挫折を知っても、人はまた歩きだすのである。
一時的に腐るのは仕方ないとも思う。
慟哭のあまり動けないときもあるだろう。
失意のあまり動けないときもあるだろう。
何もできず途方にくれるしかないときもあるだろう。
泣いて泣いて、叫んでも叫んでも癒えない傷もあるだろう。
それでも人は、立ち直るのである。
前を向く勇気。そして再び歩く勇気が人を挫折から救う。
人はそうして己を乗り越える。
そういう意味で、人はみな己にとってのメダリストである。
それを輝かせるのは、あなた自身である。
祭多まつりのWEB SITE
純文学作家(自称)
0コメント