煩悩とお礼~2017年のまとめとして~

人は己の中の欲望と供に生きている。
仏教では苦をもたらす煩悩と戦うために貪欲、瞋恚、惛眠、掉挙、疑を取り除くことを教えてくれる。
私は煩悩と欲望を混同していたときがある。
欲望を持つことは生きるために必要だとは誰もが言うが、煩悩と欲望の違いが分からず、存在の否定を問答していたのである。
人はいかに生きるべきかという問いに、人はどんなふうに生きてもいいと、あらためて答えた年末であった。
さて、年末と言えば日本ではお寺で除夜の鐘を鳴らす。
あらためて説明するまでもないが、除夜の鐘は煩悩を打ち消すためにつくのである。
幼い頃はその鐘の音の響きが好きで、毎年決まってお寺に参拝し鐘をついていた。
そうして鐘の音に両手を合わせ、新しい年を迎えようと、自分の中に清涼とした気持ちが沸き上がったものである。
だが、私はもう除夜の鐘を自ら響かせることはないかもしれないと思っている。先ほど書いたが、人はどんなふうに生きても良いのである。
ならば、煩悩にまみれて生きることもそのまま認めてしまわなければいけない。
煩悩を打ち消したい人は消せば良いし、消したくない人は消さなくて良い。
それが本来の仏の教えであるとも考えている。
と書きながら、2017年を振り返ると私もあれは良いとかあれはだめだとか人さまを評していたことに未熟を覚える。
思えば嫉妬も多々あった年であった。
今年は仮想通貨元年ということもあり、投資に成功し、私の周りにも億を稼いだ人が何人かいる。
不思議と、それにはまったくうらやましいとは思わない。
だが、たまたま会った人にあの小説が面白かったとか、昔の知り合いが小説の賞をとったりすると、たまらなく嫉妬した自分を発見するのである。
書きたい!それを痛切に感じた年であった。
末筆ながら、皆さまの煩悩が実を結び、健やかでなくても、来年もあなたらしく生きる一年となりますよう心から応援致します。今年一年ありがとうございました!

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純文学作家(自称)