お盆と千尋の谷

道教では旧暦の7月15日になると、地獄の蓋が開くので、2曜の期間(約二週間)に渡って鬼、神、祖霊などを迎えるために、宿場としての盆(ミテグラ)を用意する習わしがある。
仏教と結びついた日本の祖霊信仰もほぼ同様の風習である(祖先も含め霊はみんな地獄にいるという考えが素敵です)

さて、ここからは文献に書かれているが、実証されていないことを話す。
先日旧盆を迎えた影響からか、10数年ぶりの大凶殺を迎えた私であるが、忌み籠もりをして復活したしだいである。
ちなみにこの季節はポケモンGOなみに霊体が釣れると思う人がいるかもしれないが、ご心配なく。
いつでも霊体はGOできるのである。
さて、あっちの世界では時間の観念がないとは良く言われているが、すると「時間の無駄」という考えがないので霊体は現世での価値観とは当然に異なる思考を持つものであると思われる。
すると守護霊なるものがいた場合、彼・彼女は何から対象を守るのかと言えば、魂の消滅に関わること以外は助けることはしないのではないかと感じている。(消滅こそ救いと考える場合もあるが)
話を飛ばすが、私もいつか現世で死に至り地獄に落ちる。(全員が地獄に行くので)
もしかしたら誰かの守護霊になることもあるだろう。
時間感覚のないあっちの世界から私が誰かを守ると考えると、魂の修行をさせるためにかなりの負荷を負わせるに違いない。
温室では絶対に育てず、どんな困難にも負けないように、獅子が千尋の谷に我が子を落とすように、あらゆる困難を与えるだろう。
霊体を現世の価値観で考えると間違いをおかすが、徳なるものはただ生きていては積めないものであるに違いない。
悪人こそ救われるとは誰の言葉か忘れたが、それぐらいでなければ徳は積めないというのも真であろう。
さらに話を飛ばすが、神様は意地悪からではなくて、魂の修行のために(誰か個人の修行ではない)、生前最も憎みあっていた魂と魂を地獄でくっつける場合がある、という。
魂の修行であるから考えれば当然であるが、地獄であってもこれはなかなかに苦しいものと想像できる。
現世で誰かを憎むときは気をつけた方がいいに違いない。
話をまたまた飛ばすが、守護霊のほとんどは自分自身かあなたを愛するあの人である、と言われているが、死後の自分自身が自分をみている場合が圧倒的に多い。
御先祖様が子孫を守ることもなくはないが稀有である。
あまりに御先祖様ばかり言う人はきっとそう思いたいだけだと思っている。

またまた話を・・とまらないので今日はこの辺で。
ちなみに私は霊体があってもなくてもどちらでも構わないと思っている。

0コメント

  • 1000 / 1000

祭多まつりのWEB SITE

純文学作家(自称)