ルート4

数ヶ月前のことである。
賭けに負けた私は、埼玉県の蒲生から勤務先の東京の端である蒲田まで自転車で行くことなった。
グーグルマップで経路を調べると、埼玉県の越谷から国道4号を南下し、千住の大橋を越え日本橋に至る。
日本橋からは国道15号をさらに南下し、同316号、421号を進む。
そうして品川まで行けば、蒲田は目の前である。
これは、その片道38キロの道程中に浮かんだ雑念の、追想録である。
余談だが、国道4号は東京日本橋から青森の長島まで続く、全長854キロの日本一長い国道である。
さて、私の乗る自転車は、かれこれ8年来の、名前をロシナンテ(ドン・キホーテから)という、26インチ車輪のママチャリである。
これにまたがり、私はいざいかんと第一歩を漕ぎはじめたのであった。
気温16度、湿度50%というなかなか快適な気温である。
自転車は軽快に進み、すぐに越谷から草加市へと入った。
閉店した焼肉店を左手に見ながらさらに進む。
この頃にはすでに無数の哲学的命題が浮かんでいたが、今では忘れてしまって追想できない。
音楽家は頭に浮かんだメロディーを楽譜に写し、画家は頭に浮かんだビジョンを画布に描く。
作家は頭に浮かんだ思考を言葉で表現するが、未だデビューできない私はこの部分が弱いのかもしれぬ。
さて、閑散としたコーヒー店を横切り、毛長川を越えた辺りから、4号線を進む公用車の数が増えてくるが、どうやらあまり一般車は通らないようだ。それで店も繁盛しない。
自転車をこぎはじめて40分ほどで、荒川を越えるための千住新橋にたどり着く。
川の向こうには高層ビルが乱立している。
川に橋を通す。ビルを立てる。道路を作る。
そういう仕事に憧れがある。
土木建築は都市づくりの要である。
道一本で、人が生きる道、死ぬ道が別れる。
日本では車優先で都市計画がされてきたため、歩いて東京を縦断したりすると、不思議に思うことがある。
また、欧米に比べ日本ではまだブルーゾーン(自転車優先レーン)が未発達であるため、自転車は車道を走るか歩道を走るかしかない。
これで事故が多発している。ツール・ド・フランスをはじめ自転車文化の発達しているヨーロッパと違い、日本の経済は自動車産業に牽引されている。それでなかなか法律も整備されない。この現状を変えようと孫氏が頑張っている。
さて、荒川を越えると江戸の時代には片田舎と称されていた三ノ輪、入谷へと続く。
今では大都市の一部である。
台東区に入り、上野からは高速1号線の下に位置するため、人通りが多くなかなか進めない。
上野で飲んだくれていたのは何年前だろうかと回想しながらさらに南下を目指す。
ライザップの看板が目立って置かれている。
魔法をかけられた野獣は花びらが落ちる前に美しい青年に戻ることができたが、おじさんはライザップなどでスリムになるぐらいしかできないなー、などと考えながら自動車を漕ぎ続ける。
そもそも40を眼前に控えたおじさんが若い女を思うこと事態が気持ち悪いと思うが、会いたいと思うほどに手足が痺れるような心の動悸は、心頭を滅却すれどなまなかには消せないのであった。
さてどうするか、と一考するまでもなく、何もしないという答えを私は知っている。
その中で、私にできることは、なんだろう。幸せになって欲しい。
そうこうするうちに、自転車は神田川にさしかかる。
ここまでで一時間半が経過している。
道中は3分の1ぐらいか。
本屋に立ち寄りたくなるが我慢する。
歩道ではもう進めない。
車両として車道を走る。
ちょうどロードバイクが風に乗るように走っているので後ろに続く。
弱虫ペダルのようである。
前に習って、手信号で右に左に進みながら、銀座までやってくる。
皇居を右手にしながら日本橋を越え、ようやく4号線の終着である。
道中はあと半分あるが、記録はここまでとする。

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純文学作家(自称)